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Kobe INK物語 × 阪急電鉄

中~高校生の時の趣味が文房具蒐集だった。今から思うとずいぶん贅沢な趣味だった。

また,高校生の時は阪急で通学していた。これまた贅沢な話だ。

父が京都出身の人間なので,小さい頃から京都はいい所だということを聞かされて育った。阪急沿線はおしゃれな感じがする,というようなステレオタイプも教え聞かされた。父は転勤族だった。このため僕は石川,広島,神奈川,山梨といろんな場所で育った。中学時代にいじめに遭ったのと家庭がややごたついていたのと祖母の介護との兼ね合いと高校時代に転校が重なると学力面でよくないだろうという配慮といろんな要因が重なって京都の高校に進学した。父は仕事のため山梨に残った。父の実家が京都にあることを考えるとねじれ状態である。ややこしい。

京都時代は人生で最悪の時代だった。学力面で落ちこぼれた。ついでに初恋&失恋を経験した。いじめは原因を外部に転嫁することが可能だが,それらは自己責任だった。それが一番つらかった。人間というのは恐ろしいもので,それでもなお自分に非がないとするストーリーを練り上げる。初めに自分が責任転嫁したのはいじめの経験だった。そこで自分は人格が歪んでしまったのだと信じた。排他的な人格になったし,人が話をしていると自分の悪口を言っているのだという被害妄想をするようになった,と信じた。それはある意味では当たっているのかもしれないが,そこに気づいたときに修正することは論理的には可能だったはずだった。百歩譲って統計的には「グレる」可能性が高かったとしても,それは傾向であって,それに自分が従わなければならない,という法はない。そのことを理解する能力は自分に備わっていたはずだったが,結局そうしなかった。次に原因を幼少期の転校生活に求めた。人との距離を上手くはかれなくなったし,どこかに帰属している感覚を失ってしまった,と信じた。過去に理由を求めれば,それらしい経験などいくらでもあった。そのようにして,自分で自分のアイデンティティを破壊していった。その結果自傷行為を繰り返すようになった。深夜にツイッタールサンチマンを書き連ねた。そうして状況はますます悪くなった。

思えば,いじめられた時に,自分は間違っていないという証明のために勉強を頑張った。それは自分が間違っていなかった証明にはならないことは理解していたが,それでも一応,そう信じた。そして京都の高校に進学した。そのときの努力を自分で否定した形だ。

自分で自分に呪いをかけてはいけない。

高校では,進学するなら京阪神という風潮があって,とりあえず神戸大学を志望校とした。自分の状況は分かっていたし,これからもどんどん悪くなるだろうという確信があった。それはほぼ意志でもあった。自分の不幸な人生に酔っていた。そのような状況ではどんな大学でも受からないのは自明だった。自分は優秀だったのでそれでも受かるところはあったんですけど(笑)

実際自分は学力面では優秀な部類に入る。それは事実だ。センターの中央値を下回る心配をしたことがない。それが当たり前のコミュニティにいると気づかないかもしれないが,それは優秀であるということだ。

こんな議論にはあまり意味がない。世の中には無数の価値観が存在し,無数の尺度がある。どれを選び取るか,選び取った尺度にどれだけのリソースを投下するか,どれだけのリソースを投下できる環境にあるか,など,ただそれだけの差にすぎない。もちろん,例えば環境が悪ければ人生の選択肢が狭まることは確かだ。社会の作り手はそのことを意識する必要がある。ただ自分の人生を作るときにそれを持ち込むのは,自分に対する呪いになりやすい。

何の話だっけ? 限定のインクを買った話だった。

阪急神戸線にまともに乗ったのは神戸大学オープンキャンパス一回きりだった。あの頃僕はプレミアがついている文房具を切り売りして,それで買ったカフェイン錠を死なない程度に過剰摂取しながら,身体がノックダウンされる時を待っていた。その行為を「緩やかな自殺」とひそかに名付けて,悦に入っていた。判断力をカフェインの海に投げ捨てて,自分の可能性を自分の手で殺していた。

そのことと向き合うためにこれを買った。

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