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火に関するイメージ

 ぼくが火についてまず思い出すのは、小学生のときに火災現場に遭遇したことだ。当時ぼくは、スポーツ少年団で野球をしていた。練習は小学校のグラウンドで行われた。白く、滑りやすい、かたい土で、転ぶととても痛かったのを覚えている。小さなぼくにとって、その場所は果てしなく思えるほど広く、ボールは岩のように大きくて硬かった。練習は厳しく、永遠にも思えるほど長かった。ある日、ぼくはバッティング練習の合間に、蛇口をひねって水を飲んでいた。小学校の水道から出る水は、少し濁っていて、ほんのり鉄の味がする。それでも練習でへとへとになったあとには、ふだんどんなソフトドリンクを飲むより、ぼくは夢中でそれをむさぼった。あんまりおいしいので、たくさん飲みすぎて、おなかが痛くならないように注意しなければならないほどだ。その日もそうしていたところ、水道の錆びた銀色に、赤みのオレンジ色が反射して見えた。目がおかしくなったかと思って、奇妙だなあと感じたが、そのまま水を飲んでいた。すると、近くで「火事だあっ!!」という声が上がって、ぼくはびくっとなった。振り返ると、少し遠くの方で、煌々と家が燃えていた。黒い煙がもくもくと立ち上り、はるか空のかなたで消えていた。ぼくはすぐに不安を感じた。その不安は心の中で反響し、増幅していった。なんでこんなに重要で、規模の大きいことに気づけなかったのだろう。いや、ぼくは気づいていたのだ。ぼくは誰よりもはやく、その赤みがかったオレンジ色のゆらめきに気づいていた。しかしその可能性から目を閉ざしていたのだ。ぼくはとんでもない過ちを犯してしまったと思った。不安が心を支配し、喉につかえ、くちびるを震わせた。ぼくは厚ぼったいズボンのすそをぎゅっとつかみ、心を落ち着かせようとした。手からじっとりと汗が出て、ユニフォームに吸い込まれていくのが分かった。ぼくははやくこの場から立ち去って、なにも見ていないことにしたいと願った。しかし、それをだれかに見られたなら、ますますことが悪いほうへ転がる気がした。ぼくはどうしたらいいか分からずに、ただそこに立ちすくんだ。ばたばたと足音がして、監督がこちらに向かってきた。まだそんなに年齢は高くなかったけれど、色黒で、深くしわが刻まれていた。肌から浮き出るような大きな白目がぎょろりと覗くと、ぼくは射すくめられたように全身をこわばらせた。
「なんでてめえ言わなかった!!
 監督は火のほうを指さしてがなった。空気が震え、身体がきしんだ。不安と恐怖が渦を巻き、いまにもあふれ出しそうだった。弁明への理性はこなごなに砕け散り、ぼくになんの言葉も与えてくれなかった。そこに救いの手が差し伸べられた。コーチがホースを抱えて走ってきて、ぼくに叫んだのだ。
「繋げ! 水出せ! 手伝え!
 コーチは消防団員で、有事の際には消火活動にあたっていた。練習をちょくちょく抜け出すのは知っていたけれど、実際に活動しているところを見るのは初めてだった。その迫力に、監督でさえも一瞬たじろいだように見えた。コーチはホースの片方を持って走っていった。もう片方は投げられ、ぼくと監督の足元に転がった。ぼくは混乱した。繋ぐって、どこに。監督はいらだったようにホースを取り上げると、一段低いところにある蛇口にそれを取り付けた。
 練習はなし崩し的に中止になった。ぼくは自分の失敗がうやむやになったうえ、つらい練習がなくなったので、明るい気分になった。ぼくや、ぼくのチームメイトは、火災現場に野次馬をしにいった。大人たちはほとんど現場を手伝っているようだった。少なくとも、ぼくたちがスパイクのままアスファルトに出ていることを注意する人はだれもいなかった。ふだんなら、スパイクの刃がすり減ってしまうので、アップシューズに履き替えるようきつく指導される。でも、やるなといわれたらやりたくなってしまうのが、このころのぼくたちだったのだ。しかしみんなそんな小さなわくわくやそわそわなど忘れてしまうほど、吸い寄せられるように燃え上がる家に見入っていた。ぼくたちはそれぞれの瞳に炎を映し、顔を赤く染めながら、口を少し開いて、なにも言わずにそこに立っていた。ぱちぱちと燃え上がる炎、その熱気、独特のにおい、……。ぼくたちは、少しおかしくなっていた。みぞおちのあたりがぞくぞくするような感じがした。となりの人ににこやかに笑いかけてハイタッチしたいような、ビンを手に持って思い切り叩き割りたいような、トランポリンの上でずっと飛び跳ねていたいような、そんな気持ちになっていた。
 しばらくすると、遠くのほうでざわざわとどよめきが上がった。近づいてみると、家に住んでいた人と思わしき家族と、それをなぐさめる人々だった。家族は、母親が一人と二人の小さな兄妹だった。兄のほうは涙をこらえて、妹の手をぎゅっと握っていた。妹はわんわん泣いていた。それはよくあるドラマのワンシーンのようだった。つまり、現実味がなく奇妙だった。母親のほうはもっとすごかった。「うわああああああ」と発音しながら涙や鼻水を垂れ流していた。それはあくまで記号表現に過ぎなくて、彼女の意識はもっと深いどこかへと潜り、そこに閉じこもってしまっているかのようだった。もぬけの殻となった彼女をなぐさめるまわりの声は、彼女自身の魂にはもはやひとかけらも届いていないように見えた。

 

 ぼくがいまこの記憶について思うことは三つある。一つ目は、ぼく含め多くの人が火に魅入られていること。二つ目は、それと対比を成すように、家族が火に絶望していること。三つ目は、メタな視点で言って、火はぼくたちの意識の外から現れ、ぼくたちをかき乱すということだ。

 

 火に魅入られると言われて思い出すのは、幼稚園のときにキャンプファイヤーをしたことだ。ぼくの通った幼稚園では、キャンプ場に一泊する遠足があった。ぼくは臆病なので、長い時間をたくさんの人と共有するのはあまり好きではなかった。バスに揺られてキャンプ場に行く途中で、ひどい車酔いになったし、自由時間に男子だからという理由でかりだされた鬼ごっこでは、すべりやすい芝生に足を取られてさんざんだった。それでも、キャンプファイヤーは特別だった。山が寝静まり、深い闇がぼくたちを抱く中、ぼくたちの小さな世界だけを温めるような炎が、辺りをひそやかに照らしていた。ぼくたちはそれを囲むようにして手をつなぎ、歌い、踊りを捧げた。ぐるぐると火のまわりを回るうちに、それはだんだんと大きくなり、やがてぼくたちを飲み込んだ。ゆりかごの中にいるようにゆらゆらと揺れた。つなぎ目のない白くて薄い衣に包まれて、すべての感覚が失われていった。気づくと遠足は終わっていた。

 

 ぼくたちはあの不確実であいまいなゆらめきを美しいと思う。しかしそれを口に出すのはすこしはばかられる。それはきっと、火はぼくたちにとって良いほうにも、悪いほうにも揺蕩うものだからだろう。

 

 あれは中学生のころ、珍しく土曜日に休みとなった父と一緒に家にいた。母は美容院に行き、昼過ぎに返ってくる予定だった。ぼくはチャーハンをふるまおうと思って、フライパンを念入りに温めていた。店と違って家庭の火力は小さいので、そうやらないとぱらぱらのチャーハンができないと思ったからだ。しかし加減が分からなかったぼくは、フライパンを火にかけすぎた。油を敷くとたちまちそれが燃え上がり、火柱が立った。あまりにも唐突に現れたそれに、ぼくは驚き、言葉も出なかった。火を消す方法を考えたが、頭が真っ白になって、なにも浮かんでこなかった。助けを求めようと思ったがうまく声が出なかった。ぼくは泣きそうになった。鼻の奥のほうがつんとして、喉がきゅっと閉まった。なんとかそれを鎮めて、つとめて冷静に、ふだんするように父を呼ぶと、やっと声が出た。
 父は振り返ると、素っ頓狂な声を上げて、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。それがあまりにもおかしいので、思わず笑いそうになったほどだ。父は「入れろ!! なにか!!」と言った。ご飯を入れるとそれはたちまち消えた。その日のチャーハンはとても香ばしく――端的に言えば焦げ臭かった。当然のことながらぼくは二度と料理をさせてもらえなかった。

 

 このチャーハンの件は今となっては笑い話だが、父としては悪夢のような恐ろしい出来事だっただろう。あの必死の形相――ユーモラスな――やや不謹慎だが――には、いままで積み重ねてきた生活が一瞬に崩れ去ってしまうかもしれないという恐怖や、その悲哀が詰まっていた。ぼくはあのとき、子供特有の注意散漫さによって、うっかり悪魔を呼び込んでしまった。それはふだん厳重な管理のもとで、経験や知識、分業によって制御されている。その世界の理や均衡はグラスの淵に乗るコインよりも不安定だが、ぼくたちはそれから目を背けている。そして美しく、妖しくゆらめくものたちを共同体から締め出し、または道具として骨抜きにすることで、無意識の海に葬り去っている。ぼくたちは洞窟の中でかれらの影を追っている。かれらを直視したなら最後、ぼくたちは目を奪われて、洞窟の外へいざなわれる。それは退屈でつまらない暮らしからの脱却と、つらく激しい環境との遭遇とを同時に意味する。

 

 これも中学生のころだったと思うが、話題となっていた怪獣映画を友人と見に行った。スクリーンに映し出される非日常的な世界にぼくは一喜一憂していた。しかしそれはあくまで映画であって、日常と地続きなものだという感覚はなかった。しかし映画の終盤になって、東京の街が燃えているのを見て、喉がひゅっと鳴った。冷たく光るナイフを突きつけられたかのようだった。ふだん愛国心を意識的に持っているわけでもなければ、東京の街にゆかりがあるわけでもなかったが、それでも身体がわななくような、奇妙な感情に襲われた。ぼくはあの、家が燃えてしまった家族のことを思い出していた。かれらはこれまでの暮らしが崩れていくことに対して悲しんだり怒ったりしていたのだなと、そのとき唐突に合点がいった。一方でこの崩壊を呼び出したのはぼくたちだという感覚もあった。ぼくたちはあまりにふだんぼくたち自身が立つ場所の不確実性や、ぼくたちの外にある妖しい世界の負の側面に無邪気すぎて、退屈な日常に現れた美しい影を追い、あるいは世界の約束を無知ゆえに犯してしまう。しかしそれはぼくたちがかれらから目を背けていた帰結でもあるのだ。火はただゆらめく。外部のものと複雑に作用しあいながら即興で撹乱し、次の世界のダイスを振る。