文字による整理

en外在化

外在化させるツール

花梨戦隊カリンジャー

 文芸部でnCr題話(n個のお題から任意にr個のお題を取り出し、それを使って一時間半で一篇の小説を書き上げる)をして出来上がった小説です

お題:紅、花梨、坂道

 

 

 緩やかな坂道をゆっくり下っていく。辺りは一面の果樹園で、人のにおいというよりもむしろ、自然の土くれのにおいがする。どこまでも続いていくように思われる一本道では、芯の通った静寂が根底にあって、その上に微かな虫の声や、鳥のせせらぎなどがあるのだが、ときおりそれをつんざくように、騒々しい車の音が駆けていく。影はいよいよ長く伸び、空が青から橙へと変わっていく。

 

 仕事の関係で来た町は、どこにでもある風景で、いつものように僕を迎えていた。僕はそこで、いつもするように、どこにでもある振る舞いをして、新しい仕事を獲得したりしなかったりした。それらが終わると、同行していた女は、一分一秒でも近くにいたくないといった様子で、現地解散を要求した。僕はそれにいつもするように応えて、それがそうなった。

 会社での僕の評価は下から数えたほうが速く、もっぱら鈍臭いというのが定番の評語だった。僕はつまらないことによくこだわったのだが、それ自体が的確でなかったり、意図を伝える能力が足らなかったりしたために、客観的に言って鈍臭いのだった。大人になるというのは、個人的な、めんどうでつまらないこだわりを捨て、洗練された方法論を有効活用できるということだと聞かされた。僕はいろいろなことを経て、まあそれもそうかと思って、その言葉を心にしまった。

 

 子供たちの声がしたので思わず振り返ると、三人組の彼らは、慎重かつ大胆に花梨の実を蹴り、その行方を見守っている。すべてのシグナルがそろい、現実をやり抜くことを放棄した僕は、それらに導かれるようにして、懐かしい記憶の世界へと閉じこもる。

 

 小さい頃、集団下校の班で花梨を蹴って遊んでいた。それ自体は楽しいことだった。紡錘形をした花梨は不規則に跳ね、僕たちを飽きさせることはなかった。僕たちは、側溝に蓋をするコンクリートの穴にそれが嵌ったらポイントを加算する、という具合に独自のルールを決めて遊んでいた。

 しかしそのゲームは強制されたものでもあった。班員は僕含め三人だったのだが、花梨を蹴って遊ぶことは権威のあるガキ大将の発案だった。僕は花梨が車道に出て、車に当たる可能性を恐れていたのだが、別の遊びを提案することなどできるはずもなかった。

 はたしてそれは現実となった。花梨が車に当たる鈍い音や、車に乗っていた大人に怒鳴られたこと、先生や親に叱責されたことは、今でも鮮明に覚えている。ガキ大将は平気な顔をしていた。彼には失うものが何もなかった。僕は優等生の称号を剥奪され、失望を買った。

 

 自分たちの蹴った花梨を追いかける三人組は、あの頃と同様に、自信に満ち溢れた様子の奴が一人と、おとなしく気弱そうな子供二人だった。すべてがつまらなく、現実から乖離していたように思われた僕の心は、急速にそれに接近し、どろどろと醜い、目をそむけたくなるような感情が突沸した。自分は奴を注意し、糾弾しなければならない。そして隷属させられている二人を解放するのだ。

 ガキ大将に声をかけると、彼は呆気にとられ、刹那「フシンシャだ~!!」と大声を上げた。そして彼らは走り去り、場にはぽつんと自分と花梨だけが残された。

 あまりに突然の出来事に言葉を失った僕は、だんだんと自分の立場――社会において今自分はどういう風に見えるのか――を理解した。苦々しい思いが胸を突き、その感情は渦を巻いて、嫌悪感へつ繋がっていった。猫背の冴えないサラリーマン。社会のお荷物。大した成果のない書類を詰め込んだ、分不相応なブランドもののくたびれたバッグ。

 それを迎えるのは、蹴られ、傷だらけになった花梨だった。ところどころが変色し、半ば腐ったような濃密な匂いを放っている。

 カメラは燃えるような夕焼けを背景に、自分と花梨とを捉えてぐるぐると回る。運命的な邂逅を果たした二つの存在は今ここで一つになる。

 僕は花梨をそっと手に取り、ハンカチで包んだ。色も、重さも、形も風合いも、自分にはとてもしっくりきた。

 僕の中で再び、今度は前向きな意味で奮い立つような気持が沸き上がってきた。花梨をバッグにそのまましまい込み、道を急いだ。バッグや書類はそれのにおいで使い物にならなくなってしまうだろうが、そんなことはどうでもよかった。

 

 電車に揺られ街へ赴く。僕は何度も電車の中でそれを取り出したい衝動に駆られ、それを我慢した。やがて県下一の繁華街に着いた。街はキラキラと輝き、まるで初めてそれを見たときのように新鮮に感じられた。僕はいてもたってもいられず、バッグを開けた。

 しかし花梨はひどく色あせて、くすんで見えた。あんなにかぐわしいと思った香りも鳴りを潜めていた。それは何の価値もない俗物に成り下がったように思えた。

 僕はひどくがっかりしてキャバクラへ向かった。煌びやかで虚しい店内で女と話した。冗談みたいに大きな胸と、容易に裸が想像できる、ボディラインが浮いたドレス。僕はそれらをばらばらに見て、ひどく一面的な妄想を展開する。

 

 きっと無敵の青春時代を過ごして自分のような冴えない男を見下して生きてきたんだろう。それで社会に出て自分は無敵でも何でもないということを突き付けられながら、それと向き合うことができずにもがいている。自分のような冴えない男を相手に機嫌を取らないと生計を立てられない現実に突き当たりながら、顔に厚ぼったい笑顔と化粧を貼り付け、その仮面の奥で閉じこもっている。そうやって歪んでいき、自分が信じてもいいと思えるようなキラキラして見える理想化された男に依存し、見捨てられる。

 

 都合のいいステレオタイプを脳内で女に押し付けながら、酒に任せてそんな自分を肯定する。ステレオタイプでない、ただ一つの目の前の女に向き合って彼女の文脈を理解するのが正当だということは分かっている。しかしそうしようと思える関係性ではないし、第一それができるのは心に余裕がある人間だけだ。

 所詮は他人より自分が大切なのだ。僕は女に花梨の話をした。アルコールが回り、気分がひどく良かった。おれはガキ大将から哀れな二人を救ったのだと話した。花梨のヒーローなんだと。花梨戦隊カリンジャーであると。がくんと前に傾くと、グラスが甲高い音を立てた。

 おれはキャバ嬢の目を盗み花梨を置いた。それは素晴らしいアイデアに思えた。深紅のシートの上にぽつねんと黄色い花梨が置かれた。その空間だけ周りから切り取られたようにきりりと締まって見えた。

 やがてそれはぷつんと弾け飛び、すべてを消し去るだろう。大きな胸を、まとわりつくすべての交友関係を、すれ違う感情を、このクソな世の中を。おれは愉快な気分で、ネオンが奇体な趣きで街を彩る繁華街を下って行った。

 駅のホームを酔歩する。ファーンと間抜けな音を立てて列車が近づく。気持ちの良い酔いに任せておれは重心を線路のほうへ移す。