文字による整理

en外在化

外在化させるツール

未熟な事故

 文芸部でnCr題話(n個のお題から任意にr個のお題を取り出し、それを使って一時間半で一篇の小説を書き上げる)をして出来上がった小説です

お題:「画」「ソーダ水」「影」「黄色」「朱色」

 

 

 放課後の美術室に僕と彼女の二人がいる。彼女は窓際の席に座って油彩画を描いている。午後の強い日差しが彼女を照らし、輪郭の明瞭な影を形作っている。窓枠をかたどった日向は彼女のいる一空間にのみ存在していて、それ以外は薄暗い。石膏像やカンバス、生徒の作品――彼女の位置から対角線にあたる、そのような陰気な場所に僕は座っている。僕は芸術に関わることをするでもなく、かといって受験勉強をするでもなく、彼女が絵を描いている様子を見たり、スマホを取り出してネットサーフィンをしたりして、授業時間と放課後との空白の時間を弄んでいる。恐らくこの学校の歴史の中で最後の美術部員となった僕たちは、互いに互いの存在を感じながら、不必要に干渉するわけでもなく、ただ静かな時間を過ごす。

 

 少し前の僕の学級教室での振る舞いといえば、他人との関わりを拒絶するかのように、本を読むふり﹅﹅をすることだった。実際に本を読めるならば良かったのだが、教室の喧騒、他人からの視線――これは僕の妄想に過ぎないのだろうが――は、僕の集中を削いだ。友人と楽しい時間を過ごすという、その場にふさわしい振る舞いができない僕は、本を読むという行為を提示することでしか言い訳ができなかったので、それでも僕は本を読み続けた。
 学級の中で集団ができ始めた頃、男子の集団の一人が僕に対して声をかけてきた。やあ! 調子はどうだい。僕はその時、彼の後ろで男子の集団がこちらに、試すような視線を向けていることに気がついた。突然声をかけられたことに加え、そのような状況に置かれていることを察知した僕は、心臓の鼓動が大きくなるのを感じた。そもそも何を聞かれているのかが分からない抽象的な質問だったので、僕は思わず、どういうこと? と返した。普段会話を全くしなかったので、どのように声を出したらいいか、その勘どころがつかめずに、どもった、滑舌の悪い音になってしまった。対して彼も、僕のような相手と話す機会がないからか、戸惑ってしまい、あー、いやその、と頭を掻いた。そして、他の人とは喋らないのかい、と脈絡なく尋ねてきた。戸惑いの連鎖はその中で促進され、膨らんでいく。いや話そうと思えば話せるのだけれどね。そうなんだ。でも分からないな、そうでもないのかもしれない。え、そうなんだ。
 結局僕たちは何を話しているのかよく分からなくなって、お互いの持ち場に戻っていく。僕は本の続きを読むふりをする。遠くで男子の集団が、結局何を言っているのかよくわからなかったわ、と笑う。

 

 君は女子の中で何を考えているのか分からない、不思議な存在として認識されているのだよ。彼女はカンバスに黄色の絵の具を塗りたくりながら珍しく僕に声をかけた。僕は一呼吸遅れて、そうなんだ、と返した。その日は雨で、じっとりとした空気だった。手を動かす彼女の制服はぴとりと肌に張り付き、白いシャツの布の向こうに朧気な肌色が透けて見えた。部屋の外では運動部が廊下を使って練習をしていた。扉を隔ててその声が微かに聞こえていた。ところで、いつもスマホを見ているけど、ツイッターでもやっているのかな。彼女はパレットに朱色の絵の具を出しながらそう言った。そうだけど、何。僕は彼女に尋ねたが、彼女はすでに彼女の世界に戻っていた。

 

 最近の僕の学級教室での振る舞いといえば、他人との関わりを拒絶するかのように、顔を伏せて寝るふり﹅﹅をすることだった。実際に眠れるならば良かったのだが、教室の喧騒、他人からの視線――これは僕の妄想に過ぎないのだろうが――は、僕の集中を削いだ。友人と楽しい時間を過ごすという、その場にふさわしい振る舞いができない僕は、かつては本を読むという行為を提示することでしか言い訳ができなかったのだが、それに疲れてしまったので、寝るふりをすることで全てをごまかした。
 生まれてこの方随分と気を張っていた僕の心は、ぼきりと折れてしまったようになっていて、泥のような感情だけが渦巻いていた。目から絶えず入ってくる情報は僕を絶え間なく責め立てていた。そんな中で縋るものといえば、淡々と常に一定のリズムを刻む、授業と放課後の空白の時間と、何も言わずそれを共有してくれる彼女だけだった。

 

 季節は夏になり、部活の引退が近づいていた。僕たちしかいない美術部はその歴史を静かに終えようとしていた。目のくらむような日光が差し込み、机と椅子が並ぶ部屋に窓枠の形を映していた。彼女はその光の中から僕の方へと移り、僕に囁いた。石膏像を壊さない? どうせ美術部は終わりだし、大したことはないはずよ。
 彼女の支離滅裂な言動は、支離滅裂であっても彼女の言葉なので、僕にとって逆らう余地はなかった。僕たちは陽炎が揺れる外へと出ていき、蝉がやかましく鳴く公園の東屋に座った。僕は机に石膏像を置き、彼女は鑿と金槌を取り出した。彼女に促されるまま、僕はそれを振るって石膏像を破壊していった。子供たちが遊具で遊び、大人たちがベンチに腰掛けてまぶしそうにそれを見ていた。彼女はじっとりと汗ばみ、前髪がぺたりと額に貼りついていた。僕が作業を終えると、彼女は紙袋を取り出して、粉々になったそれを入れた。そして小銭を取り出し、コンビニに行ってソーダ水を買ってきて来てほしい。君も何か買うといいわ。と言った。僕はソーダ水とお茶を買って東屋に戻った。ソーダ水にしなかったのはなぜ。僕は炭酸が飲めないから。ふうん。彼女は蓋を開けてそれを喉に流し込むと、じっと僕を見た。みんなはあなたのことを不思議な人というけれど、実際はただのつまらない人ね。