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星空エンカウント

 文芸部でnCr題話(五個のお題から任意に三個以上のお題を取り出し、それを使って三時間で一篇の小説を書き上げる)をして出来上がった小説です

お題:満天、銀、繁る、

 

 

 

 海へと続く夜道は人気が少ない。遠く丁字路にある信号機が、アスファルトや、松の繁る林を照らしている。数十秒から数分単位で、それらは、赤、緑、赤と移り変わる。彼はもう何分もその道を歩きながら、だんだんと、自分が今ここにいるのだという確信を失い始め、ふわふわとした気持ちになっていた。歩くにつれて信号機の灯りが強くなり、影が闇につぶれていく。まるで平面の世界に迷い込んだかのようだと彼は思った。自分の身体さえも、水気のない絵の具で描かれたかのようにのっぺりとしていた。
 浜へと出る階段は砂に埋もれ、小高い丘のようになっていた。彼は苦労してそれを上り、息を切らしながら顔を上げた。
 そこは延々と続く闇だった。かろうじて流木や漁具が打ち捨てられた砂浜が見える。目が馴染んでくると、その先に、灰色の泡を浮かべた、暗く冷たい海があった。
 彼は再び歩き始めた。そうしてから、吸い込まれてしまいそうだと思った。視界に占めるそれの割合がだんだんと大きくなり、ついに取り囲まれたかのような錯覚に陥った。ざざん、ざざんと海鳴りが反響し、臨界点を越えたのか、一転として静寂が訪れた。心臓が波打ち、胸が張り裂けそうだった。恐怖に足が震え、ついに彼は歩みを止めた。
「わあっ!!
 ばん!! と肩に手を置かれ、彼は思わず仰け反った。脅かした主――彼女はけたけたと笑い、それからスマホの画面を見せた。

 

 彼らは同じ大学の新一年生だが、直接会うのはこの日が初めてだった。お互いにツイッターでやり取りを頻繁に交わしていたが、実際に会おうという発想にはなかなかならなかった。今回こうして対面エンカしたのは、深夜で気分が上がっていたのと、初めて行く夜の海というのに惹かれたところが大きい。
 二人はどことなく地に足がついていない様子で、積もる話をした。すべてを吸い込んでしまいそうな海を前にして、二人は二人でいることで安心した。
 彼は彼女と気が合うと思った。彼にとって、人間とは言葉や行動で彼を傷つけるものだった。しかし彼女にはそれを感じなかった。優しい人なのだと思った。
 彼女はよきヒロイン役だった。彼女は彼を傷つけない言葉を選んだ。彼はツイッター上で見た通りの人だった。彼女は久しぶりに始まる何かしらの予感に心が震えた。見上げると、満天の星空が広がっていた。
「ねね。星、きれい」
 彼は細い指が肩に触れた感覚と、無邪気そうに空を指さす彼女の仕草に、胸が高鳴るのを感じた。それをごまかすようにして天を仰ぐと、銀色の砂粒が一面に散りばめられていた。彼はなんだか果てしない気持ちになった。今まで努力してきて本当によかったと思った。長いトンネルを抜けて今自分はここにあるのだと思った。そしてこれからもそれは続いていくのだと。
 彼女に向かって、君は優しい人だねと彼は言った。唐突なその言葉に、彼がすでに夢の中にいるのだということを彼女は感じた。そんなことないよ、なんでそう思ったの、と返すと、彼は自身のことを語り始めた。今までうまく人付き合いができなかったこと。時にはいじめられた経験もあるのだということ。
 彼女はよき理解者であろうと、また少しの共感――彼の不幸と、自分の不幸は同質だという認識――つまりは自己憐憫――もあって、自分の体験を話した。トイレに行ったときに、仲のいい友達だと思っていた人が自分の悪口を言っているところを、個室の中で聞いてしまったこと。男好きだという噂を流された経験もあるのだということ。
 彼はそれを聞いて、自分の経験はそういう軽いものではなくて、もっと暗鬱としているのだと思った。そして自分の不幸を改めて確かめ、泥のような気持になった。しかしそれは些細なことだとも思った。たった一回会ったきりで全てを伝えられるわけがない――むしろ、これだけ距離が縮まったことが奇跡なのだと思った。冷たい夜風が二人の髪を揺らした。彼はそれでも不思議と温かい心地がした。
 海に来て本当によかった、君に会えて本当によかった。気が大きくなった彼は、自身の純粋さを強調するようにして言った。彼女は背中がぞわぞわするのを感じた。君は本当にかわいいね。思わずそう言ってしまったほどだった。かわいいと言われて彼は少し期待外れだったが、それもまたいいかもしれないと思った。大学生になったら格好よくなれると思ったんだけどな。彼はそう言って少年のようにごろんと寝ころび、空を見上げた。彼女は無防備な彼をそのまま蹂躙したい衝動を抑えつつ、これからどうしていこうかと考えた。