文字による整理

en外在化

外在化させるツール

ヘルマン・ヘッセ『デーミアン』

Emil Sinclair (1919). Demian: Die Geschichte von Emil Sinclairs Jugend. Berlin: Fischer Verlag.

ヘルマン・ヘッセ 酒寄 進一(訳)(2017).デーミアン――エーミール・シンクレアの青春記 光文社)

f:id:kourikei:20210214052855j:image

 

恐怖と不安を抱えた少年が,デーミアンという級友に導かれ,自己を見つめることで成長し,善と悪とを思想の内に内包しながら,新たな時代へとその身を捧げる物語。

「覚醒した人間」が新たな時代に身を捧げるところは,ニーチェの「超人」思想を思い起こさせる。また主人公が成長していくさまは,ユング心理学を連想させる。人間の負の面を無視しない主人公の態度は,「狂気」について書いたフーコーや,「無意識」「性欲」を研究したフロイトとの関連を見いだせる。

平和主義者で,第一次世界大戦のドイツにあって,批判を受けていたそうだ。その影響もあり,ヘッセは精神病を患い,その間にフロイトユングを読み漁っていたらしい。また,ニーチェにもともと造詣が深かったという。この『デーミアン』を境に,ヘッセはこれまでの情緒的な作風から転身した。(解説より)

個人的には,「恐怖と不安を根源に持つ」「すべてをフラットにとらえる」「帰属できるところがない」「無意識への興味」「「超人」への共感」「心理学への興味」などなど,バチバチにドストライクな小説だった。ドストライクすぎて,なにも残らないほどだ。

印象的なフレーズを以下にメモする。

迸り出る自分の思いそのままに生きようとしただけなのに、なんでそれがこうも難しかったんだろう。(ヘッセ,2017,pp.1)

これだから、この宗教はだめなんだ。旧約と新約に登場する神は素晴らしいけど、それは本来あるべき姿じゃない。神は善なるもので、気高く、父のような存在、美しくかつ崇高、感情に訴えるもの――たしかにそのとおりだ。でも世界は別のものからも成っている。そっちはなにもかも悪魔のせいにされている。そして世界のこっち側では、その半分は隠蔽されていて、黙殺される。神は万物の父として讃えられるけど、命の土台である性については口をつぐみ、ひどいときには、魔性の業(わざ)、罪深い業(ごう)だと言うこともある。神エホバを崇拝することに異議はない。否定はしない。だけど讃えるのなら、この世界まるごとを讃えるべきだ。すべてを神聖なものと見なさなきゃ。意図的に一部を切り離して、公に認められた半分しか崇めないなんておかしいよ。神だけでなく、悪魔も崇拝しなきゃ。そうすべきだと思う。(ヘッセ,2017,pp.95-96)

ぼくらの胸中には、すべてを知り、すべてを欲し、ぼくらよりもなんでもうまくやってのける存在がいる。それを知っておいても損はないぞ。(ヘッセ,2017,pp.134)

ぼくはふいに鋭い炎のような認識に至った。だれにでも「役割」があるんだ、と。それは選べるものじゃないし、書き換えたり、好き勝手したりしていいものでもない。新しい神々を望むのはまちがいだ。世界になにかを与えようとするなんて、とんでもない独りよがりだ。覚醒した人間にとっての義務は、自己を探求し、自分の形を決め、己の道がどこへ通じていようと敢然と突き進むこと、ただそれだけだったんだ。(ヘッセ,2017,pp.198)