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 僕の思い出せる限り今年初めて台風が新潟にやってきた夜、ベッドに横たわりながらユーチューブとツイッターをえんえんとさまよった。何度かスマホを横に置き仰向けになって目を閉じても薄っぺらな窓が軋んだり遠くで雷鳴が轟いたりするのでどうしても眠りにつけなかった。そのうちに朝が来て昨晩の荒れた空が嘘のように澄み渡り小鳥がさえずり始めたので僕は観念してベッドから這い出て服を着替えた。

 寝不足の朝は脂っこいものをお腹の中に入れたくなる、そういうわけで僕はコンビニに向かった。アスファルトには小枝やら泥やらが擦りつけられており普段とは異なる光景だった。それだけで僕の心は高ぶった。大通りに出るとタイヤの跡がくっきりと残っていた。凹の影も凸のハイライトも夜明け前特有の青白さを有していた。素人の撮るホワイトバランスの狂った写真のようだった。

 ファミマに入るとちょうど店員がお弁当の品出しをしているところだった。彼に迷惑が掛からないように気をつけながらその中のひとつを選び出して買った。僕の長年(新潟に来て一年と半年が経つ)の観察によると彼は夜中から朝にかけてバイトをしているらしい。そして僕はお弁当を買い、いま彼にそれを温めてもらった。僕はここまでの行動をお金以外の何の負担もなく行っていることに気づいてため息をついた。パチンと指を鳴らせばお弁当が家に送り届けられるシステムもそのうち開発されるだろう。しかしいまは二〇二一年の七月下旬であり、世間ではコロナが猛威を振るっていた。

 家に帰り、包装を解き、それが山形から運ばれてくる過程を想像しながらお弁当を食べた。お腹が膨れると鈍くて深い睡魔がやってきたので寝た。

 

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 起きると夕方になっていた。僕は髪を手櫛で整えて外に出た。しばらく所定の場所で待つと友人が初心者マークを付けた白の軽自動車でやってきた。僕は「やあやあ、どうもどうも」とおどけた調子でそれに乗り込んだ。「今日はボランティア何人?」「あとこれに西沢君が乗る」「三人か、少ないね」「そうなんだよね」。

 大学をぐるりと回りセブンイレブンに駐車した。大学生が行き交う中で背の高い西沢君が手をあげてこちらにやってきた。「いや~遅くなりました申し訳ない」とぜんぜん申し訳なさそうでなく西沢君が言い、間髪入れずに「岸君~、今度ラーメン屋行かない?」と聞いた。岸君がハンドルを回しながら苦笑い気味に「ラーメン屋? いいけど……」と返すと「やった~、じゃあよろしく」といそいそ﹅﹅﹅﹅と西沢君が身を乗り出した。

 我々は岸君の家に到着すると机と椅子をアルコール除菌してから勉強道具を並べた。しばらくすると地域の子供数名がやってきたので彼らの手にアルコールを吹きかけた。それから二時間ばかり勉強を教えたり会話をしたりした。コロナ対策という点を除くとじつに模範的な時間が流れた。二〇一八年の道徳や社会の教科書に載っていてもおかしくなかった。子供たちが帰ると外が真っ暗になっていた。岸君の車で家に戻った。

 

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 それから数日は寝たり起きたりの生活を送った。朝は昼になり夜になった。この数日間で一番の発見をツイッターでつぶやいたのでここにも記しておく。

「タイムマシンを発明した。人間は習慣で行っていること(重複した記憶)はすぐに忘却してしまう。ゆえに時間が早く進む。これを逆手に取り習慣的な行動を心掛ける。すると未来に行ける」

「事実私はここ数日間いつものように寝ては起き、起きては寝た。するとやはりわずか一日で数日をも過ごすことに成功した」

 

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 大学近くのコワーキングスペースで自分が立ち上げたSDGsに関する学生団体のミーティングをした。僕含め三人集まった。一人は岸君で一人は松浦さんという人だ。「岸君はほら地域の子供を集めて勉強しているからいいよね」「それに久村君はこの学生団体を立ち上げてくれた」分厚い眼鏡を引き上げて松浦さんは僕を見た。「でも私は何もしていないの。何だか二人といると焦るのよ」。僕と岸君は困った顔をして「まあ何かをすることがすべてではないから」などとフォローした。

 SDGsの団体は去年夏に立ち上げた。つまり活動開始から約一年経つ。もともとは大学の課題解決型のグループワークの授業で一緒になった人たちの集まりだった。たまたまテーマがSDGsに関するものだったのだ。そこで我々はじつに優秀だったので先生からグループの継続を勧められた。それからSDGsの文献を輪読したり、SDGs未来都市(毎年数十の自治体が認定される、先進的にSDGsを取り組んでいる場所)の役所の職員に話を聞いたりした。おもに活動はスラック(目的別にチャンネルを作れるLINEのようなもの)をベースに行っている。さらにSDGsに興味のある学生や大学の先生、社会人をそこに集め、参加者なら自由にプロジェクトを立ち上げられるようにした。

 参加者からプロジェクトはなかなか立ち上がらなかった。それをどうしようかということになった。「やはりスラックの参加者の絶対数が足りないのが問題だと思う」と僕は言った。「それならば人集めをしなければ。どうしたらいいだろう」と松浦さんは言った。岸君は神妙な顔をしていた。「何か外部に向けての活動をして我々に興味を持ってもらうということになるだろうか」と僕は言った。「それならば……あれ、あれ何て言うんだっけ」松浦さんは口をパクパクと動かした。「……ワークショップ?」「そう! それ! 何でわかったの⁉」「僕は超能力が使えるからさ」「すごい! 本当に超能力よ!」。実際僕は超能力が使えた。

 

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 超能力について少し書く。ミーティングの後僕はファミマに向かった。夜闇の中で月が揺れていた。夏草の香りがマスク越しにもわかった。車が全速力で駆けていった。僕は指で銃を作り、でたらめに発砲した。月が墜落し、辺りは火の海になった。こんなに嬉しいことはない。

 

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 浅田さんが指摘するように僕は歩く時にいつも音楽を聴いている、それと同じように浅田さんも暇さえあれば何かをしていた。午後二時五六分に僕が大学近くの牛丼屋に入ると、彼女は横向きにしたスマホをテーブルに置き食い入るようにゲームをしていた。ワイヤレスイヤホンを外してテーブルに着くころ彼女はゲームを終えてこちらをじっと見つめた。道沿いの大きな窓ガラスから初夏の日が差し込み、椅子やテーブル、ぼくらの手や顔の凹凸、服のしわ﹅﹅に濃い影を落とした。「また会ったわね」「それはそうだね」。

「この前私は成人したのよ。その日に酒を飲んでタバコを吸ったわ。それからテーブルの周りを徘徊したの、ぐるぐるぐるぐると。歩く速度は遅かったわ、けれどもどんどんどんどん速度が上がっていってついにはバターになってしまったの」「そう」彼女は半透明の茶色のコップを手に取り薄い麦茶を口に含んだ。僕は牛丼大盛りサラダセットを食べるために使い捨ての割り箸を取った。「ところでこんな時間にいつもよく食べるわね」「大学生だからね」。天気が良かったので外では大学生がよく歩いていた。そのうちの七割がカップルだった。「この時間帯に出歩く大学生の七割はカップルみたいだ」僕は窓を見ながら言った。「そうね」「大したものだ」「大したものね」「何が大したものなのだろう」「一般に大したものなのよ」「なるほど」。

 彼女との出会いはちょうど今日のような日差しの強い昼下がりだった。彼女は一人でテーブル席に座っていた。僕は彼女を凝視した。彼女は立ち上がり僕に近づくと同じテーブル席に着くよう促した。

「どうして浅田さんはあの時ひとりでテーブルに座っていたのだろう、そして僕に声をかけたのだろう」僕は彼女にたずねた。「ちょうどあのころチー牛が流行りだしたのだけれど実際に観察してみたくなったのよ」「ふうん」「気を悪くしないで、久村に声をかけたこととそれとは無関係よ」「じゃあ何で?」「セロのオルフェンズに出てくる女の子と同じ理由よ」。

 それは無口でオートバイを持っている男の子と逃避行をする曲だった。無口はわかるとしてオートバイは何なのだろう? あるいはそれは誘い文句だったのかもしれない。それを信じられるほど女性経験はなかった。僕は童貞だった。

 

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 僕と岸君と西沢君はラーメン屋に向かっていた。新潟は海岸線と平行にバイパスが通っている。高速道路と遜色のない規格で設計されておりとても便利である。そういう道を走っていた。

「ラーメン屋は東区が充実しているんだよ」西沢君が言い、岸君が焦ったように「これから東区まで行くの?」と尋ねた。「ううん、東区までは行かない」。

 それで我々はラーメンをすすった。僕はスープに浮く油分が消えないかどうかをじっと見ていた。それが消えないラーメンはおいしいと何かで聞いたためである。

「いや~感動だよ、一緒にラーメン食べてくれる友達がいないからさ」と西沢君が言った。「そうなんだ?」と僕か岸君かどちらかが言った。「前も話したと思うんだけど僕知り合った子にLINEしてみるんだけどすぐに返信が来なくなるんだよね」「それは西沢君の誘い方が悪いんじゃないのかな」「そうなのかな~? まあ返信が来なくなった子はすぐにブロックするんだけど」。チャーシューは分厚く、加水麺はもちもちしていてじつにおいしかった。「もっとこう……一人一人にフォーカスを置いて、すぐにブロックするんじゃなくて、少しずつ距離を詰めていくものなんじゃないかな」慎重に言葉を選びながら岸君が言った。彼は慎重な人だった。

「なるほど~。でも返信が来ないものは来ないんだよ~。だったら数打ったほうがまだ仲良くなれる可能性が高くなるんじゃない?」「……何かさ、西沢君は仲良くなれるならだれでもいいの?」「言ってる意味がよく分からない」「だから、たくさんの人にアプローチすると一人一人にかける時間が少なくなるからその人とは仲良くなれる可能性が少なくなるじゃないか、つまりその人と仲良くなるかはどうでもいいってことだよね」「でも仲いい人ができる確率は高くなるよ」。

 グラスの表面に水滴がついていて触れると冷たかった。夏が来ていた。

「二人の議論はじつに面白いと思うんだよね」僕はでたらめを言った。「経営戦略にはコストリーダーシップと差別化があるんだけど、前者はたくさんの人にアプローチする西沢君で、後者は少数の顧客をがっちり確保しようとする岸君なんだね」「なるほどさすが久村君! 頭いい! 戦略が違うってことなんだね~」。

 ところでスープを全部飲む派と飲まない派が存在する。僕は気分によって変わる派である。半分くらい飲んでやめるときもある。

 岸君は僕の話に首をかしげて終始黙っていた。

 

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 家から海は歩いて十分ほどの場所にある。新潟生まれの坂口安吾はよく一人で黙って海を見ていたという。生家があった場所の近くには記念碑が立てられ、彼の言葉が刻まれている。「ふるさとは語ることなし」。

 僕は新潟に来たころよく一人で夜の海に出かけた。向かって右手側に遠く中央区の光が見える。それ以外はモノトーンである。明度10%、5%、20%。

 僕は耳からイヤホンを外して海鳴りを聞いた。波が砂地を削った。死にたいと思っているときにいざ自殺の計画やその瞬間やその後のことを考えると死にたくなくなる感じに似ていた。

 

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 SDGsの学生団体のミーティングで使っているコワーキングスペースはこれまた別の学生団体が運営している。これに声をかけたところワークショップをそのコワーキングスペースで開くことになった。向こうも宣伝になると考えたのだろう。

 ワークショップで取り上げる内容は岸君と松浦さんたって﹅﹅﹅の希望で「誰ひとり取り残さない」に決まった。これはSDGsに関係する文書である『2030アジェンダ』に記されている理念である。どうやら二人ともこの概念にいたく共感しているらしい。

「問題はこの概念をどうワークショップに落とし込むかだと思う」僕は議論をそのように方向づけた。「安易に講義形式にするのは簡単だけれども、僕としてはできるだけ参加者が体験的にこの概念を感じられるようにしたい」。「どうやったらそうできるだろう?」松浦さんが合いの手を入れた。「『誰ひとり取り残さない』の概念に関して注目すべき側面の一つに二面性﹅﹅﹅がある。つまり取り残す﹅﹅﹅﹅側と取り残される﹅﹅﹅﹅﹅﹅側がいるということで、これは蟹江も言及している」。蟹江はSDGs研究の第一人者で、我々は過去に彼の著書を輪読していた。『2030アジェンダ』の原典では「誰ひとり取り残さない」は "no one will be left behind" と受身形になっている。蟹江はこれを「だれもが取り残される可能性があることを念頭に置いている」と解釈していた。

「そこでワークショップを2ラウンドに分ける。まず自分が取り残される﹅﹅﹅﹅﹅﹅と感じる状況を挙げてもらう。そしてそれをホワイトボードに書き、共感できるものに付箋を貼ってもらう。次にそれを――ちょうど受身形をなおすように――取り残す﹅﹅﹅﹅側の視点で書き直す」僕は得意になってスティージョブズのように徘徊を始めた。「例えばAさんがいたとする。この人は大学を中退して起業したいと考えている。しかし周囲の反対が強い。やりたいことに対して障壁があるという点でAさんは取り残されている﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅。しかし反対する人たちはいったん大学を卒業したほうがリスク回避になると考えるだろう。このように挙げられた例をすべてひっくり返していく」二人は黙って聞いている。「そして書き直された取り残す側の視点について一理あるなと思ったものにさっきとは別の色の付箋を貼る。こうすることによって参加者は『誰ひとり取り残さない』の二面性に気づくことになる。それらは容易に入れ替わるし、ある例では取り残される側でも別の例では取り残す側になる、というようにモザイク状になっている。それをホワイトボードに貼られた色とりどりの付箋によって視覚的に感じてもらう」。僕が言い終わると「なるほど! おもしろそう」と松浦さんが反応を示した。

 

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 そういうわけで「誰ひとり取り残さない」をテーマとしたワークショップが開かれることになった。宣伝のついでに学生団体のツイッターアカウントをまじめに運用することにした。手始めにSDGsや大学生のアカウントを毎日少しずつフォローした。一週間たってもフォローバックのないアカウントはフォローを外してからミュートをし、次に重複してフォローしないようにした。フォローするアカウントは五日以内にツイートがされているものに限定し、フォローよりもフォロワーが多いアカウントはなるべく避けるようにした。フォロバを必ず返してくれそうなアカウントを適度に混ぜ込んで規模を大きく見せた。二日に一回は国連のSDGs年次進捗報告書である『The Sustainable Development Goals Report』の二〇二一年版から翻訳・引用してツイートをした。それは予約投稿ツールを使った。加えて活動報告を適宜手動で行った。たまにTLで適当なツイートを拾っていいね﹅﹅﹅をした。それは雪かきに似ていた。僕は毎日雪かきをした。

 

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 所定の位置で待っていると白い軽自動車がやってきた。僕はやあやあ﹅﹅﹅﹅とおどけた調子で助手席に乗り込んだ。「初心者マークを外したんだよね」「それはそれはおめでとうございます」。

 その後斉藤さん、小林君と合流した。二人は何やら後ろで話をしていた。岸君、斉藤さん、小林君は全員新潟出身で中学や高校でお互い何らかしらの関係があった。岸君はハンドルを回し、僕は窓の外に流れる海岸線を見ていた。やがて海は松林に隠れていった。

 子供たちが勉強をする中斉藤さんに声をかけられた。小林君も一緒だった。「西沢君のことどう思う?」斉藤さんがたずねた。雰囲気的に二人とも意見は一致しているようだった。僕は曖昧な返事をした。「実は西沢君と同じ学部の子から聞いたんだけど、どうも女の子に声をかけまくっているらしいんだよ」斉藤さんが言った。僕は輪郭のぼやけた顔をした。「それで確かに彼、ちょっと変なところあるじゃない? なるほどな~って思ったわけ。何かちょっと私たちとズレてる﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅って思わない?」「……まあ」「ね? そう思うでしょ? やっぱり。小林もそう思うわよね」。ところで小林君はイケメンだった。綺麗な顔をゆがませて彼は「まあさすがに何て言うかちょっと……ね」と苦笑いをした。

 

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 それから我々は岸君の車で帰路についた。二人が帰り、僕と岸君のみになった。「ちょっとコンビニに寄っていいかい?」岸君が尋ねた。僕は首肯した。

「斉藤さんに言われたんだけど、西沢君は僕たちの雰囲気にふさわしくない気がするんだ」ファミチキころも﹅﹅﹅をこぼさないように気をつけながら岸君が言った。「斉藤さんから聞いた?」「まあ」「それなら話が早い。それに僕たちは子どもと交流する団体だから、なおさらそういうのはよくないと思うんだ」。窓の外でライトグリーンと白と青の光がぼやけたりはっきりしたりした。僕は近眼で乱視だった。「でもそれとは別に、何というか、僕の作った場は西沢君がいてはいけないような、そういう傾向がある場なのかな……と思ってしまうんだ。伝わるかな」。岸君はファミチキを三分の一くらい食べていた。車内は暗く、水彩絵の具のように指でなぞると輪郭が溶けてしまいそうだった。「つまり岸君は、自分が作った場所が西沢君を排除するような場だったのではないかと思って、それが嫌なんだね?」僕は言った。「排除するというか、そういうんじゃないけど」「でもまあ、そうなのかな……」岸君は脊髄反射的に否定した後で自信なさげに言った。僕は唐突に何でこんなくだらないことに巻き込まれているんだろうと思った。今に始まったことではなかった。「いやあこれは現代社会の問題のフロンティアに我々がいるのではないかと思うんだよね」僕は言った。「多様性の尊重が叫ばれている昨今において、実際問題異なる性質や価値観を持っている人と付き合うのは相当な労力を割くことだと僕は思うんだ。それで大体の場合において『あの人とは価値観が違うんだ』という安易な言葉によって解決を図ることになるのだけれどこれは『でも私たちの行動様式は変えないけどね』という考え方に繋がると思うんだ。そうして『多様性の尊重』というお題目だけが残り実際は互いの価値観が交わらないまま平行線をたどるだけになる。けれども岸君はそれを乗り越えて、きちんと労力を払って、西沢君に自分たちの考え方を分かってもらいたいし、自分たちもまた西沢君のことを理解したいと思っているんだよね。すばらしい」。我ながらよくすらすら﹅﹅﹅﹅と言葉が出てくるなと思った。岸君は首をひねった。「いや多様性の問題っていうか何というか……でも多様性の問題なのかな? ……少なくとも久村君はそう思っているんだよね」そして岸君は彼自身に話すように続けた。「うん、ちょっと斉藤さんに頼んで、自分はいろんな人があの場所にいていいっていう風にしたいからちょっと我慢してくれって伝えてみる。それで西沢君にも行動を慎むようにお願いしてみるよ」。僕はこの問題がどういう帰結になるのか興味を持った。どうでもいいと思った。

 

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「君は早くあのおままごと﹅﹅﹅﹅﹅をやめることだな」マスターは僕の学生団体をそう評した。「君たちのスラックのような活動はもうおそらくどこかがやっているだろうし、もっと多くの社会人や学生が参加しているコミュニティもあるだろう。プロジェクトも生まれていない。あの場には何の価値もない」彼は博士号を持っていたがマスターと呼ばれていた。「もっとも君の成長には必要な過程だったのかもしれないが、いまとなってはもう卒業すべきものなのだよ」ワインを注ぎながらマスターはそういった。一面に並んでいる本と彼の低い声、恰幅のある体躯によって研究室が狭く感じた。

 マスターは僕の学部の准教授だった。団体を立ち上げた段階でマスターの方からコンタクトを取ってきた。それはありがたいことだった。以降それなりに団体の活動に協力をしてくれた。個人的な関係性も深まった。僕は研究室に出入りするようになっていた。マスターと先輩とで食事をしたとき、先輩は「マスターは威圧感がある」と評した。酔うと必ず女性差別的言動をした。しばしば無茶な注文を他人に要求した。研究室を去った学生や同僚の先生の悪口をことあるごとに喋った。コロナとワクチンに懐疑的だった。じつにおもしろい。

「君にはもっとふさわしい場所があるだろうし、君がいる場所にはもっとふさわしい人がいるはずだ。いずれ君にもわかるだろう」マスターはそう言ってワインを飲み干した。「酔えなくて困る」顔を赤くして彼はそう言った。

 

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 午後三時五分、牛丼屋のテーブル席で浅田さんはヘッドフォンをして首を振っていた。僕が座ると彼女は待ってましたと言わんばかりに口を開いた。「相談があるんだけどいい?」。僕は先を促した。「とある男が私を好きみたいでどうしたらいいのか困っているのよ」。僕は牛丼大盛りサラダセットにドレッシングをかけて紅しょうがを乗せた。「私はA級君に好かれることはないのだけれど、B級君に優しく笑顔で声をかけることができるので、彼らから意図せず好意を向けられてしまうことがあるのよ。B級君にとって女と話す機会はほとんどないから、性欲を恋慕と勘違いしてしまうの。今回もそのケースってわけ」。僕は食べ飽きたそれを口に入れた。味がしなかった。「ねえ、どうしたらいいと思う?」。僕は口を開いてから喉が渇いていることに気づいた。「おそらく彼は女性経験が少ないために、女性特有の、男性に比べて近い距離感の取り方に惑わされてしまったのだと思うよ」「そう! そうなのよ」食い気味に彼女は言った。僕は牛丼屋特有の薄い麦茶を一口飲んだ。「実際僕も昔そのような経験をしたことがあって、相手の女性に迷惑をかけたことがある。僕は彼女に応えてもらえないことによって精神が不安定になっていった。なにか硫酸のような強力な薬品をかぶって彼女に抱きつき、そのまま一緒に溶けていってしまえたならどんなに幸せだろうと本気で考えていた。たいていそういう奴は意志薄弱で自分しか見えていない、交友関係も狭くてつまらない人間なんだ。だから無視してしまうのが一番だよ」。彼女はしばらく考えてから言った。「薬品のくだりは本当に気持ち悪いわね」。それから言葉を継いだ。「でもその男の子にはやはり何か惹かれるところがあるのよね。私もさすがに単につまらない人間と付き合ったりはしないわ。何というか彼には才能があるのよね。私の発想にない領域について詳しく知っている気がするの」。今度は僕が考える番だった。「これはとても言いにくいことで、見当外れなら申し訳ないのだけれど、浅田さんは無意識にこうなることを見越して行動していたんじゃないかな」「それはないわ。私に何のメリットがあるっていうのよ」。僕はこれ以上追求するのをやめた。

 

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「私ばっかり話しているのも悪いし、久村の相談を一つ聞いてあげるわ」浅田さんは椅子に座りなおしてそう言った。僕は特に困りごとはなかったので、岸君の教室で起きた西沢君関連のいざこざを話した。「そのN君は間違いなく発達障害ね」浅田さんは自信満々に言った。「その教室をやっているK君も何も分かっていないのね。多様性は基本的には目的達成の阻害要因よ。久村に良いことを教えてあげるわ。世間では多様性の尊重多様性の尊重って軽々しく言うけれど、それはマイノリティも不幸にしているの。私も精神安定剤を処方されているマイノリティ側だから分かるけど、安易な共感や想像はマジョリティの傲慢よ。まあマジョリティには分からないでしょうけど」。僕は牛丼を食べ終えた。お椀が脂で光っていた。

 

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 SDGsワークショップ開催まで残り一週間となった。参加者はゼロだった。我々はミーティングを開いた。僕は本気で仲間づてを頼れば参加者は集められるだろうと前置きしたうえで、それが嫌だ、意味がない、というのならコロナを理由に中止にしたほうがいいだろうと言った。岸君と松浦さんは中止にしたほうがいいと言った。

 そういう話をしているとコワーキングスペースを運営している学生団体から連絡がきた。担当者は申し訳なさそうに言った。「たいへん恐縮なのですが今月いっぱいで急遽コワーキングスペースを閉じることになりました」。ワークショップは来月だった。向こうの方で代わりの場所を抑えてくれるようだったが我々は断った。「コロナのこともありますし、無理に開催することもないですよ」。

 ツイッターでフォローを繰り返した結果、未開拓の対象がだんだんと少なくなってきた。ターゲットの一つには学生団体があった。フォローしようと思った約五分の三は更新が途絶えていた。

 

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 二十歳になった。前々日くらいから僕はハイテンションになっていた。二十年生きたのだという妙な自信がわいてきた。三十年、四十年と生きている大人たちに尊敬の念を抱いた。

 日付が変わるとファミマに行って氷結と焼きそばを買った。それから海へ行った。砂浜を歩きながら缶を持ってスマホで写真を撮った。フラッシュがはじかれてハレーションが起きた。身体が熱く、潮風が涼しかった。海は黒く、渚は灰色に泡立っていた。星が祝杯を挙げていた。僕はついに二十年生きた。

 

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 次の夜、研究室の先輩とマスターとで誕生日のパーティーをした。「ワークショップは中止になったのか。人が集まらなかったのか?」マスターは聞いた。「まあそんなところですかね」「ああいうのはサクラをいくつか入れておくんだよ。それで人づてに参加者を募るんだよ」日本酒をあおりながらマスターは得意げに言った。「いやあ君の陰キャな姿が見れなくて残念だよ」マスターは右手をマイクに見立てて戸惑いながら話す僕の真似をした。「あっ、あっ、って言いながら」僕も笑って調子を合わせた。「そうそうこいつ自分で学生団体開いてSDGsのワークショップやろうとしてたんだよ」マスターは先輩に言った。「SDGs? SDGsのどれやってるの」先輩は肘をつきながらグラスをこっちに向けて聞いた。「いえ特に絞ってはないです。SDGsは経済・環境・社会の総合性と目標間の相互作用が特徴なのでそこを大切にしています」「いやなんかアイコンがいくつかあるじゃん、あれ全部やってると大変だからどれかに絞らなきゃいけないじゃん」「どれかに絞るというわけではなくて、スラックで多様なステークホルダーを参加させつつ、誰でもチャンネルを立ち上げられるようにして、自分たちのできること・やりたいことから取り組んでいこうとしています」「いやスラックの使い方は熟知しております。具体的に何に絞ってやるかを聞いているんだよね」「まあまあまあ。それでこいつはその団体でせっせと他のメンバーのお母さん役をしているわけだ。俺はそういうのはさっさと卒業しろって言ってんだよ」マスターが割り込んで言った。先輩は不満げな顔をした。僕はこの場には先輩とマスターと僕がいて部屋はコンクリートの壁でできていて外の世界はコロナ禍にあっていま生きている人は百年後にはだいたい死んでいて地球は百億年後には太陽に飲み込まれているのだなあと思った。

 

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 夜が過ぎ朝になり太陽が昇り昼になった。布団が暑いと思ったので片づけた。もう八月も下旬に入っていた。昼が夜になり夜が朝になりまた昼になり夜になった。お風呂に入り食事をしてトイレをして歯を磨いて洗濯をした。ツイッターを閉じたり開いたり閉じたりした。みんな言い訳ばかりしていた。粒状のものを大量に飲み干したかった。セミがずっと鳴いていた。

 

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 岸君に頼まれて久しぶりに子供たちに勉強を教えるボランティアに参加した。見慣れた白の軽自動車が来て、僕はどうもどうも﹅﹅﹅﹅﹅﹅とそれに乗り込んだ。今日のボランティアは岸君、僕、斉藤さん、小林君だった。

 僕はスマホで活動の様子を撮っていた。するとそれに気づいた斉藤さんがわざわざ小林君の近くに寄り、カメラの方を示した。斉藤さんはピースサインを作り、小林君は不愛想な顔をした。「その写真後で送ってよ!」と斉藤さんがおどけた調子で言った。僕はそれである可能性﹅﹅﹅﹅﹅﹅を思いついた。僕はそのまま小林君を取り続けた。小林君は思わず笑ってやめろよ﹅﹅﹅﹅と言った。僕は「斉藤さんに送り付けてやるつもりだから」とおどけて言った。斉藤さんは閃いたような顔をして「ナイス~!」と言った。僕は本当に斉藤さんに画像を送った。斉藤さんから「ありがとう」と返信がきた。

 

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 帰り道に岸君からファミマに寄ることを提案されたので受け入れた。彼から声をかけられた時点でこのような展開になることは予想がついていた。そしてこれから西沢君関連の話題が出るのだろう。はたして彼は西沢君の話をした。「彼に一応話をしてみたんだ。学部で女の子に手当たり次第メッセージを送っている件は誤解だと言っていた。久村君も知っての通り彼は女の子にも男の子にも手当たり次第メッセージを送っているというだけなんだ。それを彼の口から確かめることができた。そしてそれを改めるように言った。もっと一人一人の関係性を大切にしてほしいし、そういうのでは僕たちは彼のことを信用できない。それを聞くと彼は――これは本当に驚いたことなのだけれど――、こう深くショックを受けた顔でうんうん﹅﹅﹅﹅とうなずくんだ。そういう発想は僕にはなかった、迷惑をかけてしまった、って。僕はだから彼とはこれからうまくいくんじゃないかと思っている」。岸君は手ごたえに満ちた表情でそう言った。「斉藤さんや小林君とは話したのかい?」僕はたずねた。「いいや、そちらはまだなんだ。問題の方﹅﹅﹅﹅を先に片づけておこうと思ったからね」「ふうん」僕はファミマの入口の方をぼんやりと眺めた。大学生がタバコを吹かして出ていった。「これは何となくだけれど、小林君が岸君の話を聞くとなったら斉藤さんは聞くと思う。でも斉藤さんと小林君の中で西沢君に対する態度が硬化している場合、二対一の数的不利の場になってしまうから、できるだけ二人は別々で会った方がいいと思う」僕は色々とぼやかしながら言った。「なるほど、確かにそうだね」「そう。何より西沢君と斉藤さんたちとのどちらもが双方理解をする均衡状態に持っていくという曲芸をするための条件は、岸君がお互いから信頼されていることに依存している。岸君が斉藤さんや小林君から信頼を失ったら元も子もないからね」。岸君は目を丸くして言った。「確かにそうだね。とても難しい」。

 

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 SDGsの学生団体のツイッターアカウントは雪だるまのようにだんだんと大きくなっていった。そんな中でミーティングの依頼が届くようになったので僕が対応することになった。

「はじめまして。我々は学生団体の支援活動をしております。もともと我々は学生向けの就職支援やインターンシップ事業、広告事業を行っておりまして、今回これまで稼がせてもらった学生の皆さんに何か恩返しができればいいなと思い、支援活動をさせていただいております。具体的には何か御団体に見合った資金提供の手段・案件が入った場合にお知らせしていただくという形になっております。具体的にどのような活動をしているかと申しますと、まずは楽天様より学割への登録の案件をいただいておりますのでご紹介させていただきます。学割の内容はご存じでしょうか? なるほど、でしたら詳細は省かせていただきますが、こちらの学割、学生の方であれば無料で登録していただくことができ、楽天をご利用いただく際は諸々安くなるというものでございます。御団体であれば、何かしら書籍をご購入なさる場合お安くお買い求めいただくことができるのではないかと存じます。案件の方に説明を戻させていただくと、まず御団体にはなるべく多くの学生様に学割に登録していただき、その際にキャンペーンコードを入力いただきます。それをもとにこちらの方で識別をいたしまして、人数に応じて御団体に支援をさせていただくという流れになっております。オーダーは三十人で一万円程度となっておりますので、案外おいしい案件ではないかと存じます。こちらにつきまして、お引き受けくださることがお決まりの際には我々にご連絡ください。また今回の案件以外にも御団体に見合った案件が入ってきた場合にはご紹介させていただいてもよろしいでしょうか? かしこまりました。それではこれまでの件につきましてよろしくお願いいたします」

 こんな具合である。僕はため息をついた。もはやイノセントに学生団体をやっていく時代ではないのだ。このソフィスティケートされた社会ではいずれ僕の呼吸にも付加価値が発生するようになるだろう。

 

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 そんな中、某製造会社のCMなどを作っている東京の広告会社からDMが来た。マイナンバーカードの認知拡大・理解促進の案件を経済産業省から委託されたため、全国の学生団体にマイナンバーについて考えてもらう企画を考えており、参加しないかという依頼だった。我々はこれを引き受けた。一つのプロジェクトとして進め、スラック参加者を募る呼び水にしようと考えた。広告業界とコネクションを持てるかもしれないということを押し出して大学でプロジェクト参加者を募集したところ十数名程度新規メンバーを確保することができた。その中には西沢君もいた。

 

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 岸君の教育ボランティアのLINEグループに西沢君から投稿があった。「今度みんなで温泉にでも行きません?」完全にスルーされていたのが不憫だったので「コロナの状況を見て考えようかな」と当たり障りのない返信をした。

 次の会では岸君にお願いされボランティアに参加し、帰りのファミマで西沢君関連の話をされる羽目になった。「僕はあのメッセージを見た瞬間何というか悲しくなったんだ。あれだけ言って納得してもらったのに、まだ温泉なんて言い出すのかと」。岸君は本当に悲しんでいるように見えた。僕はそこまで人間関係に腐心することができるのに対して少しうらやましくなった。「それで結局斉藤さんと小林君とは話したの?」僕は話を少しずらした。「した。久村君に言われたように一人ずつ別々にってことにしたかったんだけど、斉藤さんがどうしてもというからやむなく小林君と一緒にしたんだ。これは久村君に言っていないけど、僕たちは上越の方までドライブをしてきたんだ。それで帰り道にその話をした。斉藤さんはあまり納得していなかったみたいだけど小林君はまあ納得してくれたんじゃないかと思う。だけど温泉旅行なんて言い出すから、二人が今どう思っているか分からない。やはり噂は正しくて、本当に単純に下心があるようにしか思えない」。温泉ぐらい行けばいいのにと僕は思った。しかしそれを言ったら信頼を失うことが手に取るように分かったので黙っていた。

 

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 午後三時一分に牛丼屋につくと浅田さんと見知らぬ二人が座っていた。僕を視認すると浅田さんは手招きをした。

「取り巻きAです」「取り巻きBです」彼女らはそのように自己紹介した。これは「取り巻きCです」と言う流れなのだろうか。迷って「久村です」と言った。会話はつつがなく進行した。彼女らは浅田さんの知人のようだった。我々は男一人女三人で午後三時に牛丼を食べた。「よく食べるのね」僕の牛丼大盛りサラダセットを見て取り巻きAは言った。「大学生ですからね」僕は言った。「でも私たちはそんなに食べないわ」取り巻きBは言った。「それはいいことだ」僕は言った。「この時間帯に出歩く七割はカップルのようね」取り巻きBは窓の外を見ながら言った。「そうね」浅田さんが言った。「大したものだわ」「大したものね」「何が大したものなのだろう」「一般に大したものなのよ」「なるほど」。

 帰り道で取り巻きAと一緒になった。「ねえあなた浅田さんのことが好きでしょう」。僕は僕自身にそうなのだろうかと問いかけてみた。少なくとも異性として好きというわけではなさそうだった。人間として好きかと言われても微妙だった。彼女は多くの欠陥を持っているように思えた。人間は人間のことが人間として好きだから友人になるわけではないのだ。「難しい質問だ。どうしてそのように思ったのだろう?」僕はお茶を濁した。すると意外にも彼女は動揺した。「言葉にするのは難しいわ」。僕は僕がどのように彼女たちの間で取り上げられているのか想像がついた気がした。しかし断定するには不確定要素が大きすぎた。

 

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 マイナンバー関連のプロジェクトで集まってくれたメンバーのうち草野さん、戸田君、西沢君、僕、岸君で海に行くことになった。プロジェクトメンバーの交流ということで西沢君が発案した。草野さんは西沢君と同じ学部の同級生で、戸田君は僕の学部の後輩――すなわち今回のメンバーで唯一の一年生だった。

 僕らが行ったのはちゃんと整備された海岸で、海の家が十件ほど立ち並んでいた。「レッドオーシャンだね」と僕は呟いた。「ですね」と戸田君が言った。

 海では日焼けした男女が肌を露出させて闊歩していた。二〇二一年の夏の新潟にもそのような人は実在しているのだなと思った。褐色の肌、白い砂浜、青い海、青い空。ライトグリーンとライトブルーの浮き輪。

 我々はひとしきり海を見てから適当な海の家に入った。僕はアイスコーヒーを頼んだ。たぶん三人くらいがかき氷を頼んでいたと思う。日差しが強くてとても暑かった。

 僕はスラックなど一通り自分の活動の説明をした。草野さんは海のゴミ拾いの活動をしていた。「草野さんの方がよっぽどSDGsの活動をしているね」と西沢君が言った。僕は訂正しようと思ったが研究室の先輩の件を思い出してやめた。僕は戸田君を見た。先輩だらけの空間の中でしゃべりづらいだろうなと思った。

 帰り道で自然な流れで西沢君と草野さんが先に歩き、僕と岸君と戸田君が後を追う形になった。岸君が僕の方に寄ってきて「僕ああいうの見てるとどうしても『ああ、西沢君はプロジェクトメンバーの交流なんかどうでもよくて本当は女の子と海沿いを歩くというイベントを達成したいだけだったんだろうな』って思っちゃうんだよね」と言った。「ふうん」僕はここにはいくつかの人間がいてそれぞれがさまざまなことを考えているなと思った。波が揺れ、光の粒が生まれては消えていた。

 

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 僕は僕でツイッターを通じた外部のステークホルダーとのミーティングを続けた。コロナ禍でやりたいことがみつからない・どうしたらいいか分からない・どうにかする友達もできないという現大学二年生以下の学生向けに健全な出会い系アプリのようなものを作っている年商二億の元引きこもりの人と話をしたり、とにかく学生と1on1をしまくっているスタートアップの人事担当と話をしたり、CSV経営を目指している福祉用具関連のグループ法人の社長と話をしたりした。これも雪かきのようなものだった。ぼくはえんえんと自己紹介と団体説明を繰り返し、にこやかに談笑した。じつに愉快なことだ。人が人を呼び、僕はえんえんと人と会った。岩が流され角が取れていくような気分になった。

 

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 僕は一息つきたいと思って一日何もしない時間を作った。それから学生団体のメンバーに徐々にミーティングの仕事を割り振りたいと伝えた。ちょっと厳しいなという返事がきた。ちょっと厳しいなら仕方ないなと思った。海の日焼けのせいで腕の白い筋状の傷が目立った。それを眺めていたら日が沈んだ。

 

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 相変わらずマスターはワインを飲み誰かの悪口を言っていた。どういうつながりだったか「君のところの学生団体もそうなんだよ」と話が飛び火した。「結局のところ自分を変えるのが一番手っ取り早いんだよ。仲良くお手手を繋いでレベルアップなんかできない。自分ができる最高速度でどんどん先へ先へと行くのが結局全体にとっても一番いいんだよ。自分がつかんだスキルを自然と周りに落としていくことになるからさ。研究をするにしても何かの活動をするにしても結局我々は孤独なんですよ」そう言って彼はワインを一息に飲んだ。僕も付き合いでちびちびと飲んだ。いろんな生き方がある。

 

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 CSR活動の一環として学生団体を二百以上集めてスラックコミュニティを作っている企業とミーティングをした。担当者は五十代の男性だった。まず僕の方から自己紹介とスラックコミュニティ等の団体説明をした。それから男はうんうん﹅﹅﹅﹅とうなずきながら「お宅のやろうとしていること、じつによく分かります。じつは私どもも同様の活動をしておりまして、これまで仕事で培ってきた『コミュ力』を活かしまして、全国二百以上の学生団体を集めてスラックコミュニティをこの夏始めたところなのです。私どもも驚いたのですが学生団体ってたくさんあるんですね。例えばベナンに食糧支援をしている団体。フィリピンで学校を作っている団体。しかしもったいないことにどこもばらばら﹅﹅﹅﹅で活動している。そこを私どもでお繋ぎしようと考えたわけです。いいですか、いま我が国日本は少子高齢化。まさにこういうトレンドの中で、衰退の一途をたどっているのです。そしてどうも活気がない。そんな中でこうやって学生さんたちが素晴らしい活動をしていらっしゃる。若者が思うように未来を描けない、活動できない社会というのはつまるところ大人の責任なんです。あなたがたは何にも悪くない。学生がいきいき﹅﹅﹅﹅といろんなことをやっていける場っていうのは大人が整備しなきゃいかんのです。そういう背景をもとに我々が活動しているということをご理解ください」僕は校長先生の話を思い出した。夏休み明けの新学期に校庭で体育座りをしている。金属製の台に校長先生が上り、マイクに向かって話しかける。セミの鳴き声とともに声がだんだんと遠くなっていく。景色がぼやけたりはっきりしたりを繰り返す。

 

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 ミーティングが終わると僕はコンビニに向かった。今日も道路には車が通り道に沿って家が建ちアスファルトの継ぎ目には雑草が生えていた。僕はファミマでコーヒーを買い海へ向かった。海に向かう道中で缶チューハイを持って歩く大学生に会った。僕は何だかばかばかしく﹅﹅﹅﹅﹅﹅なって来た道を引き返した。いろんな理由でいろんな大学生が海へ行った。これからも行くだろう。僕の想像は誰かのものなのだと思った。夏が終わろうとしていた。