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夢分析

夢分析は科学的に否定されている感が強いけど個人的には(科学的かどうかは置いといて)考え方としてはありだと思うんだよな

もちろん意味不明かつ解像度の低い,ちまたにあふれる夢分析は論外として

例えば登場人物が実在の人物である場合,登場人物を実在の人物と判断できるわけで,夢の情報が自分の脳という閉じた系で生成されていることを念頭に置くと,そこに自分独自の実在の人物に対する判断があって,それが夢の中で他の人物とその実在の人物とを分けるものとして現れている,と考えられる気がするんだよな

どうなんでしょう

 

とてもリアルな,家族3人との会話の夢を見て,そんなことを思いました

山梨の時の夢でしたね

京都の時はもう母親と2人暮らしだったので

なんで山梨の時の夢か,という分析はしたくないし,それこそ非科学的な夢分析みがある

 

まあしたくないと言っている時点で,論理学的に,そこに何か主張があってそれを打ち消しているということなんですが

自分の胸に手を当てて考えてみると,仮説があって,それをいわゆる非科学的な夢分析だと否定して,さらに仮説を文章の形に表して人に伝えることをしたくない,という思考プロセスが働いたのだなあと思いますね

 

この記事は抽象的すぎる物言いでしたね

反省

まあ抽象的なのは今に始まったことではないですが

 

あ,何言っているかだいたい伝わったよ! っていう人はコメント欄に書いてもらえると嬉しいですね

その時は人間意外と意思疎通できるじゃんって思いますね

個人的には,このレベルだと人には伝わらないだろうなと推測しますが

 

もっとも「伝わる」ってどこまでの確信度合いでそう自覚していいと社会的に判断されるのか,という点も不確実性が高いですよね

あと単純にコメント欄に書き込むのは心理的ハードルが高い

その意味でこの「実験」はなんの意味も持ちませんね

いわば剰余変数が多すぎる

世の中そんなことばっかりだぜ